京都にいる友人、小嶌さんのFBに少し前にアップされていた記事。
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日々を自分の用事で埋め尽くしてしまったら、
身動きがとれなくなる。
って、きょう実家で
母にパソコンのことを訊かれたときに、
ちゃんと時間をとって教えてあげられなくて
ぱたぱた身支度の合間にマウスを手にとっていた自分に悔いが残る。
パソコン教室に通おうかなぁと心細そうにこぼす母にはっとする。
そんなのもっと訊いてくれたらいいのに。
もういい歳なのだから、
ひとの面倒を見る時間をもっと考えないといけないなぁ
料理とか家事とかもそうで、
例えば、インスタント味噌汁がデフォルトとか、いま時間を切り詰めた生活をしていると
人生破綻するなぁと思う訳で。
日々に余白をつくりたい、
という。深夜のわたしのちいさな表明
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シンプルながら言葉のセンスがあふれていて、そして同世代として共感して、
思わずシェアしました。
日々に余白をつくる
この「日々に余白をつくる」というフレーズ、とても印象的でした。
私は車の「あそび」で例えることが多いのですが、
あそびが無いと、車はかえって危ないですよね。
勤務時代には繁忙期がありそこに単発のプロジェクトも重なることもあり、
時間的にはまさに余白が無くて、とりあえず目的地(業務完了)まで走り切るということが多くありました。
しかしね、心の余白まで失うことは本当に危険だと思っていて、
そこを失わないことは、強く意識していました。
やりたいこと vs やらなければならないこと vs やらないこと vs やってはいけないこと
ただ、日々に余白がなくなるのは決してやらなければならないことが多すぎるだけではなく、
やりたいことがたくさんあるということの裏返しでもあります。
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あれもしたい、
これもしたい、
もっとしたい
もっともっとしたい
(The Blue Hearts「夢」より)
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この素直な気持ちと、目先やらなければならないこと、やらなくてよいこと。
そして、自分でやってはいけない(やらない)と思っていたこと、例えば部下を支援するつもりがつい感情的になってしまったり、
余白が無いといつの間にかやっている可能性もあります。
ひとつひとつにやりたいこと、やるべきこと、やらなくてよいこと、やってはいけないこと、
そして、緊急か、重要かの観点など、少し視点を高くして「?」を投げかける。
その結果、実はやらなくてもあまり影響がなかったということも沢山あるかもしれません。
自分が抱えているものに、捨てるべきもの古くなったものが無いか?
出入りというように、エレベーターでも電車でも、まず降りる人が出てから乗る人が入ります。
新しいことを始める前に、まずは出すものがないか考えてみる。
そのために、自分のやっていることの色分けをしてみる。
そのために、日々に余白を作っていく。
ちいさな表明。